サンショウ 1/100 ジェット機シリーズ


グラマンF−14Aトムキャット

F−14Aトムキャット−紙礫筆誅堂さんの作品−
紙礫筆誅堂さんより素晴らしい作品が送られて来ましたので紹介します。以下、ご本人の説明文です。
F-14A、サンショウ 1/100、長谷川 1/72 などではない。1978 年完成、空対空誘導弾群の増設は 1998 年。これまた誰もが一度は作る(爆笑)、VF-1 の機体である。1983 年に齋藤章二氏がモデルアート別冊誌上で発表するまでは、1/100 では世界唯一であったろうと思っている。因みにこれを造った当時、当方は中学三年生である。いやー、今見ても我乍ら、たいしたもんだ(哄笑)。

F−14Aトムキャット後にタカラが同スケールの F-14 を発売し、やれ嬉しやこれで完全武装できるぞと思っていたが、これが大間違い。同キットのAIM-54 空対空誘導弾、断面が小判形である(爆笑)。取付架以外はてんで使い物にならぬ。型取って複製するまでまるで気付かなかったこちらも、いい加減に間抜けだが(苦笑)。
仕方がないので AIM-54 は、F-4K/M 付属のマーテルだかシーイーグルだかの対艦誘導弾を元に原型を作り、無発砲ウレタンで複製した。文章で書けばこれだけだが、一発辺り八枚ある翼は、一体型抜きなぞ不可能なので、全部プラ板から切り出して取り付けてある。
F−14Aトムキャットこれが四発ある訳だ、殆ど執念の産物である。AIM-7 の方は、F-15C を作った時に余ったものをそのまま流用。ともあれ、完成後廿年の時を経て、ようやく「あるべき姿」に落ち着いた幸運なる機体である。震災でも殆ど損傷はなかったし。

廿年の時を隔てて、十五歳の少年だった筆誅堂と三十五歳の中年一歩手前の筆誅堂が、この小さな模型の上で今も握手しているのである。
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F−14Aトムキャット−紙礫筆誅堂さんの作品−
引き続き、紙礫筆誅堂さんの作品です。以下、ご本人の説明文です。
F-14A、サンショウ 1/100、エアフィックス 1/72 には非ず。1977 年完成、空対空誘導弾群の増設は 1997 年。
1977 頃の「航空ファン」誌では毎月お題を決めて読者からの模型完成機写真の投稿を募っていた。
ある時のお題が「F-14」。集まった作品はことごとく作例と同じサンショウ 1/100 の VF-142、212 号機だった(爆笑)。当時、長谷川 1/72 は未だ発売されておらず(発売は同年秋頃の筈)、まとまった資料も「世界の傑作機(旧)」の F-14(1977年)しかなかったのだ。同誌の塗装図に載っていたのが、他ならぬこの機体である。
F−14Aトムキャットそして、この機体こそが筆誅堂史上初のまともな完成機である。それまではろくな工具も工作材料も持たず、それどころか工作技法すら知らなかったのだ。たまたま模型に詳しい男と中学で同級となり(時たま登場する「友人」であり、今でも賀状程度は交わしている。最も、当の本人はとっくの昔に模型はやめてしまったが)、そいつから模型雑誌を借り、知識を仕入れ、実践に勤めた結果が、これだ。

今では想像もつくまいが、スケール模型界が当時隆盛を極めていた一方、情報や工具、工作材と云った周辺事情はお寒い限りであった。最初から初心者には敷居が高く、現在の惨状は予め約束されていたようなものだったと云えよう。
F−14Aトムキャット田宮が工具類を含めた総合的な商品展開を始めたのは、割合最近の事。それにしたって「ミニ四駆」絡みだろう。

ともあれ、この機体が現在の筆誅堂の方向を決定してしまった訳である(三つ児の魂百まで(爆笑))。キャノピは後に破損した為、間に合わせで絞ってある。廻りが黒なもんだから、目立たない。得である(笑)。震災で VHF アンテナを折損、誘導弾増設時に修復するのを忘れていたらしい。こちらの AIM-54 は、タカラのものを複製してそのまま利用…たって、一筋縄では行かなかったぜ(苦笑)。因みに初期の F-14A は、これだけ積むと空母からの発進は、不可能だった筈である(爆笑)。
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文責:紙礫筆誅堂



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